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お知らせ

子育てや保育についての思いをつづってきた当ブログですが、このたび

「マムnomon」 http://mamymamnomon.blog19.fc2.com/

↑こちらのブログにまとめて書くことにしましたので、ご報告いたします。
日々の出来事や、子育て・保育について、趣味のことなど、なんでも書いております。
posted by: マミーマム | - | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |

発想の転換

 
妹が、長谷川先生の講演を聞いてから、「お母さんはしつけをしないで」の本も読み始め、だんだんと変わろうとしています。

すごいわ〜長谷川先生。


先日も、小2の甥っ子が登校中に、中学生に「ば〜か」などと言われて、辛くて自宅に引き返したらしいんだけど、

今までだったら、叱って学校へ行かせていただろうけど、ちゃんと話を聞いて、学校に、遅れて登校するということと、その理由を伝えたそう。
学校の先生も中学校に連絡して注意を促してくれたらしいです。

ああ、すごく子どもに寄り添おうとしているな〜って感激しました。


妹からも、こういう場合はどうしたらいいのかな?と聞いてくれるようになって、長い間距離があった私たちの関係も、だんだんと縮まってきています。


で、先日、やっぱり叱ってしまった、という報告がありました。

どういうことだったかというと、

甥っ子と二人で、部屋の片付けをしていたそうなですが、ごみとして捨てる袋を用意して、いるものといらないものを分けていたそうです。

ふと見ると、ごみの袋の中に友だちの名前の書いてある色えんぴつが入っていたらしく、そこで叱ってしまったそうです。
(どういう叱り方だったのかは聞いていません。)


それは叱らなアカンだろ?

と言う妹。



いや〜〜。
「あれ?これ、○○くんの色えんぴつだよ?ごみじゃないよね?」
って聞くだけでいいんじゃない?

そしたら、
間違えてもってかえってた、とか、借りてたの忘れてた、とか、子どもが教えてくれると思う。

そして、子どもは、じゃあこれをどうするか、って考えて、明日学校に持っていく、とか、もういらんだろうから捨てとく、とか、対処方法も自分で考えるだろう。

捨てとくっていう対処法を選んだときには、いや〜困ってるかもしれんから、聞いてみたらどう?という助言だけはするだろうけど、親が先に事情を判断して、責めたり、対処法(明日学校に持って行って返しなさい!と指示する)を決定したりする必要は、まったくもって皆無。

親が子どもを責める必要もなく、ばつの悪い思いはするだろうし、どうするか考える機会は与えられるし、今後どうするか、というところまで考える子になる可能性も十分ある!
同じ学習なら、ポジティブな学習がいいに決まっているよね。

ここで叱っていたら、まちがってもって帰っていた場合なんかは特に、お母さんはぼくの話をぜんぜん聞いてくれない、今度こういうことがあったら絶対にばれないようにしなくては・・・なんて悪い方に学習してしまうのは悲しい。



という話をしたら、


そういう発想がなかった

と妹。



そうなんだ。
叱ってしまうときって、発想が貧困。
「きっとこうだ!」
って思い込んで、たいていはネガティブ、悪い方に考えたり捉えたりするから、そういう悪い子になってほしくなくて、叱る。


馬鹿みたいに明るく、素直に物事を捉えて、なんでも良い方、良い方に考えたら、子どもを責める気持ちがなくなっていくと思います。



すべて、物事の捉え方、今までの発想の転換にかかってると思う。




だから、育児にかかわらず、生きていく上で、常に馬鹿正直に、物事を良い方良い方に捉えることって、とても大事だと思う。

浅見帆帆子さんの本にあるんだけど、
たとえば
電車が遅れたら、「自分のせいじゃないし、読みかけの本を読む時間ができてラッキー」って思う、とか
車ででかけていて渋滞にはまったら、「急ぐなってことなんだわ、お気に入りのCDがたくさん聴けてラッキー」って思う、とか。
あほみたいだけど、ほんとにイライラすることが減る。

育児についてだけポジティブに物事捉える、なんて器用なことできないですもんね。
常日ごろから、前向きな考え方をする練習をすることで、育児も生き方も楽になる。
自分で実践して実感してるので、これは確実。
posted by: マミーマム | - | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |

友だちの力

 
昨日、5歳児(受け持ちのクラス)だけで散歩にいきました。

広い公園(文化の森)の山にのぼりに。

山までの遊歩道を走っていく子どもたち。
ある男の子が、数人に追い抜かれ、悔しかったのですねてしまいました。(阿波弁:どくれる)

そして、わざと進むのをやめて、みんなが行ってしまっても一人遅れてノロノロとふくれっつらで歩いていきます。


一人置いていくわけにいかないので、少し離れたところでみんなを集めて、その男の子が来るのを待っていました。


その時点で保育士は一言も発しません。
もう一人主任の保育士さんがついてきてくれていたので、こそこそと(すねちゃってるんですよ)(はいはい)と会話。

ほかの子どもたちも、どうしてその男の子がノロノロと進むのか、わからないので、おとなしく待っていました。

時々「○○くん、どうしたんかなあ?」と子ども同士で会話してます。



しばらく待っても、ふらふらと進む様子のない男の子。
う〜〜〜ん。主任の先生に任せて、私はほかの子らと山へ入っていこうかなあ〜・・・と考えていたら、男の子のうしろを野良猫が歩いてきました。


それを見たほかの子が、「うわ!猫じゃ!」と大きな声。
他の子達も、男の子のうしろの猫を見て、「うわ!ほんまじゃ!」と興奮。

そして、誰ともなく、男の子に向かって、
「お〜〜〜い!!○○〜〜!はよう来〜〜い!猫が来よるぞ〜〜〜〜!」と呼びかけました。

すると男の子も後ろを猫が歩いているのを見て、ハッとした顔をし、走ってみんなのところへ来ました。
みんなのところに来たときには笑顔。
そして、みんなは「よかったなあ〜〜」「危なかったなあ〜〜」と男の子が自分たちの元へ来たことを喜んでいました。

(猫が通ったからといって危ないわけではないけど、子どもらしくてかわいいですよね^^)


ああ〜〜。仲間の中の一員。っていう感覚は、こうやって育まれていくんだなあ。
5歳児にとってとても大切なことです。友だちと共に遊び、経験すること。

そのときまで友だちに追い抜かれて悔しい・・・って思っていただろうけど、みんなに呼んでもらって合流した経験と感動の方が絶対大きいと思う。
一人っ子で思い通りにならないとすぐにすねる男の子なので、こうした経験を積んで、信頼できる仲間、という意識を強くしていってもらいたいなあ、と思います。



そして、大事なことは、大人が指導しないこと・・・。

これ、男の子が来るのが遅いからといって、保育士が呼びにいったり、呼びかけたりしたら、子ども同士の呼びかけはなかった。
待っていてよかった〜〜と主任の先生と話し、喜びあいました。
posted by: マミーマム | - | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) |

改めて

 三つ子の魂百まで

なんですよね、ほんと。

三歳までとは言わない、でも、小学校入学以前の幼少期に、考え方の基礎ができあがりますね。


園での事例。

私のクラスの3歳の男の子。

自己肯定感がなかなか持てず、大人に依存して遊べない時期を過ぎ、やっと自分を出して友達とかかわって遊び始めました。

すると・・・

命令・否定・禁止
「おれが一番!」
のオンパレード。


散歩などに出て、目にうつるものを見ての感想は第一声が「きもい〜」


ここまでネガティブをインプットされてしまっていると、払拭するのに時間がかかります。

おれが一番

一番でないと、自分自身に価値を見出せなくなっているんですね。
そうじゃなくて、競争に勝たなくたって、競争に参加しなくたって、あなたはあなたでいい、この世にたった一人のかけがえのない存在なんだって教えてあげたい。
そして、この世の中は、本当にすばらしくて、助け合える仲間が集って暮らしているんだよっていう、基本的な安心感を教えてあげたい。
それが大人の仕事ではないでしょうか?


そして、このことは、お母さんにも教えてあげたいこと。

今までは、このお母さんに、子どもに自信をつけてあげて、叱らずに認めてあげて、そういうメッセージを送ってきましたが、結局お母さんを苦しめているだけかな、という無力感を感じます。

そうじゃなくて、お母さんをも、認め癒していく作業が必要だな、と心底感じます。
こうしろ、ああしろ、もっとがんばれ
っていう父性じゃなくて、

うんうん、そうだね、大変なんだよね
っていう母性でもって接して、

先生、相談にのって
先生、ちょっと聞いて
先生、どうしたらいいと思う?

ってお母さんから歩み寄ってもらえる保育士を目指したい。


ねえ、だから、私がこれからすべきことは、

人間を磨くこと、に他ならないわけですよ。


先日、保育園に師事をあおいでいるお二人の先生に来ていただきました。

お一人の先生がおっしゃった言葉。

「保育は人」

そうよ、結局ここが原点なのよ。
どんなに、すばらしい理論を持って、良い方法で保育をしていたとしても、ツンツンした保育士、父性の強すぎる怖い保育士には、子どもも親も寄ってこないわよ。

理想はしっかり持っていることは大事なことだけど、相手や自分を減点する必要はないんだよ。
しっとり包んで、うんうんってほぐして、柔らかく柔らかくしていこう。
posted by: マミーマム | - | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |

保育士としての意気込み

 私たちの祖母の世代って、戦時中に幼少期を送ってる人が多いと思うんだけど、だから、我慢や人に迷惑をかけないこと、などを強いられた世代だと思うのね。

子ども時代に子どもらしく過ごせなくって、そのひずみが私たちの母世代に連鎖、そして私たち世代にも連鎖して、恥ずかしいと思われるような行為や、人に迷惑をかけることを極端に嫌ったり、我慢や人と同じ行動を強いる子育てが横行しているんだろうな〜って思います。

子どもが子どもらしく自由に育てない現代が作られてしまったんだろうな。

とあるブロガーさんが、これも戦争(日中、太平洋戦争)の傷跡だとおっしゃってましたが、私もそう思います。


池川先生は、やむなく吸引分娩するときも、赤ちゃんに尋ねるそうです。吸引してもいい?って。

ダウジングという方法で回答を得るそうですが、人って生まれる前からちゃんと意思を持っているんですね。


どんなに小さい赤ちゃん、子どもでも、しっかり自分を持っている。

その意思を尊重して、行動させてあげる、失敗もさせてあげる、それが大人の役割だと思います。

少々、人に迷惑をかける行為も、子どものうちはすべきだと思います。
それで学んでいけばいい。

それが許される社会であってほしい。

そういう社会を作るために、人々が子ども理解を深める必要がある、その手助けをすることも、保育士の仕事だと思ってます。


子どもの権利が無視されすぎているんだよね。



アドラー心理学の野田先生の本にあった素敵な言葉



「ほんの少し前まで、男性が上で、女性が下というのが社会的な合意だったから、男性が特別待遇でも嫌がられはしなかった。

いまは男性が上で女性が下だと言った瞬間、袋叩きにあいます。

それと同じように、大人が上で、子どもが下というのも、今の子どもたちは認めないです。

ながい人類の歴史の中で、結局、歴史的にずっと下に置かれていた側が勝っているんですよ。

最後の差別は大人と子どもの差別です。これも必ず大人が負けます。歴史の必然で負けます。

大人と子どもとが完全に平等だということを、大人が認めるまで子どもたちは戦いつづけます。」


今、子どもにまつわる痛ましい事件や、難しい問題が多いのは、子どもたちが戦っている姿だと思う。
大人に気づかせようとしてくれているんだと思う。




最後の差別をなくす手助け、していきたいと思います。


posted by: マミーマム | - | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |

作られる子ども

 クラスに元気な女の子がいて、いつも食欲もあり、ごはんはたくさんもりもりと食べます。

でも、時々、食べる気もないのに、ダラダラと食べてるときがある。

いらないなら、もう遊びに行っていいんだよ〜、と声をかけると、泣いて「まだ食べる〜〜」と必死。

でも、どう見ても欲しそうじゃない。
ちょっとずつダラダラと食べる。


もしかして・・・と思い、お母さんに尋ねました。


以前から、この子ほんとよく食べるんだよ〜、食欲旺盛なんだよ〜〜とおうちの方も言っていたのですが、やっぱりおばあちゃんなんかが、本人に「よく食べるね〜」と声をかけているそう。

お兄ちゃんがいるのですが、こちらが食欲にムラがあり、あまりまとめて食べないので、余計「よく食べる」と喜んで言われていたそう。
もちろん家族の方はよく食べてくれるのが嬉しくて、そういった声かけをしていたのだと思うのですが、

これが、その子に「私はたくさん食べる子」という思い込みをさせているんですね。

私は食べキャラ

と自分を作っているんです。

特に感受性の強い子というのは、どんなに小さくても、大人が期待している自分を作ろうとするんですよね。

それって、すごく苦しいことでしょう。
ありのままでいられないことは、とっても不自然。
本当の自分がだんだんとわからなくなっていく。

だから、大人の言葉って、とっても怖い。

どんなに良い言葉だとしても、レッテルはレッテル。
決め付けは決め付け。

もちろん前向きな言葉を使うのは良いことですが、それを「期待」と感じさせてしまっては子どもがプレッシャーを抱くだけ。

子どもへの接し方は、本当に、大人から発信せず、ただひたすら受ける存在でいることが大事なんだな〜〜〜と、またしても確信した出来事でした。

posted by: マミーマム | - | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |

おたより用

 
年齢があがるにつれ、創造性が乏しくなっていく傾向がある現代っ子。
テレビアニメ、番組のキャラクターなどの情報が多く、自分の考え出す表現より、刺激の強い既製のキャラクターにとびつきがちです。

テレビ大好き、キャラクター大好き!
テレビに出てくるマシンや乗り物大好き!
になると、そのような精巧なキャラや物を自分では作り出せないので、ものを作ろうという意欲がなくなっていくようです。

でも、物を作ることってとても大事なんですよね。

長谷先生の講演でも言われていたように

「人間にとってもっとも大事なのは感情
ものを作ったり描いたりしないと感情が出ない」のです。

そういうことを伝えたくて、来月(2009年12月)出す予定のおたよりに以下の記事を盛り込んでみました。

明日、上の先生に提出するので、訂正しなくてはいけない箇所もあるでしょうが、いちはやくアップしてみます。

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心が解放されれば、生活・遊びが本物に変わるのです
生活・遊びが本物に変われば おのずと生活習慣が身に付くのです
おのずと付いた生活習慣が 人間としての成長を約束するのです
長谷光城氏著 「子育てルネッサンス」より

 
 保育をするにあたって、上記のような考えを信念とし、環境を構成したり、ひとりひとりの子どもへの接し方を考えたりしています。

「本物の生活・遊び」って、どんなものでしょう?
 それは、「自分で」みつけた遊び、「自分で」思いついた遊び、「自分で」やろうと決めて起こした行動、なのだと思います。

 年齢があがるにつれて、テレビや絵本、キャラクターや玩具の「情報」が増えていくように思われますが、そういった情報は、子どもたちが「自分で」考えたこと、思いついた表現をかき消してしまうほど強烈です。キャラクターや既製の玩具に惹かれ、自らの創造性や自発性を失うおそれがあることを知っておいてほしいと思います。

○ぐみの子どもたちも、最近、テレビのキャラクターや車の名を言う、など、生活の中の情報をキャッチしている様子がうかがえます。そのぶん土での造形物も、既製の形(ハートや星型)を作ろうとするなど、創造性が乏しくなっているのを感じます。
 
 子どもたちの創造性、自発性、自由な表現を育むために、ご家庭での遊びについても再度見直し、ご協力いただけると嬉しいです。園と同じような環境にすることは難しいことだと思います。しかし、現在ある玩具などを見直し、片づけたり変えたりすることはできるのではないかと思います。

☆おすすめしない玩具・遊び(創造性が乏しくなる可能性大!)

・ミニカーやロボット、キャラクター人形 
・電動で動く玩具(プ●レールなど)     
・ボタンひとつで音の出る玩具(武器など)
・・・遊び方が決まっており、拡がらない。受け身になってしまう。

・ぬりえ・・・決められた枠内を塗りつぶす、という「作業」に終わってしまう。

・キャラクターのカードやシール・・・視覚的刺激を受けているだけ。「集めて終わり」になる。


☆おすすめ
・一番のおすすめは、「自然そのもの」です!(屋内で遊ぶなら雑草、ドングリや松ぼっくりなど)
・積み木などの「自分で」構成しなくては遊べないような玩具。
・新聞紙や空き箱(キャラクターなどのついていないもの)

自分で考えないと遊べないような素材を用意してみてください。
子どもたちの発想に驚かされるはず!


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どうでしょうか?
みなさまのお宅には、簡単便利なおもちゃ、ありませんか?
簡単・便利・刺激的
なおもちゃって、食いつきはいいけど、「創造性・自発性」は育たないものが多いんですよね。
子どもが自分で生み出せるか、形を生み出すことで自分を表現できているかどうか、そういうところを重要視して、遊ぶ道具・玩具を選びたいものですね。
posted by: マミーマム | - | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |

困ったときが違っただけ

2009年10月の記事
 
長男の徒歩遠足でした。

朝から弁当作りやら朝食作りやらで忙しかったので、長男からの
「お母さん、どうしよう、名札がない。なかったらちゃんと買いなさいって先生が言よった」
との申し出に若干イラッ。
だって名札は長男の机の上にあるのを知っていたから。
プリントやら何やらに埋もれているのを知ってました。
しかも、安全ピンがとれているのも知ってた。
「あ〜これ、取れてるのに困ってないのかな?」
と思ってたんですが、長男が何も言ってこないところをみると、学校にも名札無しで行って平気なんやな、と知らんふりしていたのです。

それを、この忙しい朝にのこのこと・・・
とイライラしたんで
「お母さん、あんたの机にあったの見たよ〜」
とヒントをあげた後、いっしょに探してやるため部屋に行きました。

なのに、探す気のなさそうな長男の態度にさらにイライラ。
こいつは新しいのを買ってもらって解決しようとしつるんじゃあるまいな?
と感じたので、私がプリントをかきわけ、名札を掘出し、探して渡しました。
そしてとどめ。
「これ、安全ピン、ずっと前にとれたんだろ?なんで言わなかったん?困ったらそのときに言わないと、お母さん助けてあげれないよ。」
と言い、安全ピンをつけてあげました。
長男、そのやりとりの間、終始浮かない顔。

ははは、エラそうに言いながらもこんなもんです。
しかしすぐに反省して軌道修正するのが私のいいところ(笑)。

その晩、長男に謝りました。
「ごめんな、お母さん、朝は意地悪な言い方してしもたなあ。
困ったときに言えっていったって、今日の朝が長男の困ったときだったんだよなあ?
だからお母さんに言ってくれたのに、いやらしくてごめんな?」

長男は「うん。困ったんは今日の朝やったんよ〜。」とわざとブスッとして見せそして笑ってくれました。
ええお母さんやなあ!(笑)


はい。
今回は私は先走ったのですね。
長男が今まで困ってなかったこと、理解していたはずなのに、忙しい朝の感情にまかせて、やっぱり前から困ってたんだな?と結びつけてしまい、
しかも、
新しいのを買ってもらって解決しようとしてるんじゃあるまいな?
と勝手に解釈し、自分で自分のくびをしめたわけ。
その上で

自分の手間を惜しんでしまったのね。

ここがミソやなあ。
「エゴ」というものは、ほんま愛情のブロッカーやなあ。

忙しい朝、自分の用意をしたいのに、長男の名札のことで手間を取らされるのがイヤだったんだね。

困ったときにちゃんと親に助けを求め、助けてもらう経験をすることで世の中や人間を信頼する力、前向きに生きていく力がつくというのに。

待って見守って相手からの発信に真心で応える

それが愛だろ、愛。

エゴをはさむことなく接したいな。
そのためには、やっぱり多少のことでイラッとしない余裕を持たねば。
私「時間」関係に弱いんだよね〜〜。
特に朝は2食作るんで(普段は朝食と夜ごはんを作ってます)忙しい。
イライラしないよう、もっと早起きしよう、うん。
posted by: マミーマム | - | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |

長谷川博一先生講演

昨年10月に聞いてきた講演のレポートです。 臨床心理士の長谷川先生の講演。考え方が変わったきっかけのひとつでもある「お母さんはしつけをしないで」という本の著者さんでもあります。 「ダメな子なんていません」 というタイトルではありましたが、人権そのものについての考え方や、心を育てることの重要性をお話くださって、とってもわかりやすかったです。 そして、著書にある「お母さんはしつけをしないで」のタイトルどおり、子どもへの厳しいしつけの危険性を説かれていました。 っていうか、先生、お洒落!!! 見た目の形より、心を重要視する意味で、スーツは着ずに、私服で講演を行った先生。その分一生懸命話をさせてもらう、とおっしゃっていました。 それがその私服がめちゃめちゃお洒落。 今年50歳というお若い先生でした。 (おお、川西くんと同い年じゃ!) しゃれたデザインのこげ茶のポロシャツに、ピタっとしたチノパン。 革靴はベージュのツートンの先がとがったお洒落なもの! 同系色できれいにまとめられていて、ピー子のファッションチェックなら間違いなく合格点だと思います。 講演もユーモアをまじえ、プロジェクタでスマップやコブクロの歌を例にあげながら行うというはいからさ! 話がおもしろく、上手いので、ひきこまれました。 また、数々の少年犯罪事件について、臨床心理士として携わっており、新聞やテレビでみかけた事件に関わる少年少女の生い立ち、生育暦を詳しく教えていただき、心の育ちを事例を通してわかりやすく教えていただきました。 本を読んで、すばらしい先生だと思ってたけど、実際に会ってお話を聞いて、ますます大ファンになりました〜〜〜vvvvv 以下、大事だな、と思ったこと ・行動を「評価」しようとするから「ダメ」だと思ってしまう。 ・世界にひとつだけの花(SMAP) 「花屋の花」という時点で、すでにセレクションが行われている。 「バケツの中しゃんと胸を」「はらされている」のだ。 本当の人権は花屋の花以外のどんな花でも良い、という考え方。 ・でも二番に「誰も気づかないような場所で咲いてた花のように」ってちゃんと花屋の花以外についても言っていたんだね、ごめんねマッキー。(ネタかよ) ・学校教育によくある人権の落とし穴。 勉強はできないが、スポーツが得意。 勉強はできないが、掃除をまじめにする。 勉強ができない、スポーツもできない、掃除もしない、そういう子の個性は? 勉強ができない、スポーツもできない、掃除もしない、それがその子の個性。 良い、悪いで評価しない。それが人権尊重。 以前、私も「オンリーワンのはきちがえ」という日記を書きましたが、同じ考えです。 何かに秀でていなくてはいけない、輝いていなくてはいけない、というのは、本当の人権尊重ではない。 ・しつけ=親が責任をもって、子どものうちにしつけておかなくてはいけない。 というのは間違い。 しつけ=子どもが回りを見て、能動的に行われる。自発的に身につけていくもの。 一昔前のしつけと今のしつけはちがう。 ・一生懸命しつけようとすると、目先の成功にとらわれてしまい、「行動」にしかまなざしが向けられなくなる。 こころが見えなくなる。 ・心を見ずに、外から見えやすいもので判断してしまう。 外から見えやすいもの= 一般の子どもとは違う姿、行動、歩み。学校や勉強に関わること。 ・「褒めて育てる」は間違い。 やったことへの評価にすぎないから。 「個の尊重」とは反対のメッセージだから。 褒められるに値しないこと は隠そうとする子どもの特徴を作ってしまう。 ・子どもたちが成長の大前提として必要としているのが 「尊重されること」 尊重は「無条件(結果の成否に関係なく)」に生じるもの。 ・失敗への罰 言語道断! 失敗したときに叱ったり、罰を与えたりすることは、「自分らしさ」がわからなくなっていくだけ。 ・まじめすぎる人ほど、生きづらい。 こうしなくては。ああしなくては。と自分でがんじがらめになる。 ・まじめ と 人生の価値・しあわせ とは関係ない。 ・まじめ=勉強をよくする、勉強ができる という外から見える様子でとらえない。 ・まじめに生きるってどういうこと? 正直・純粋・真実 ありのまま という生き方を重視したい。 ・まじめな子ども 大人の期待に沿う 大人の期待に合いすぎる、あわせていることが不思議。 小・中学生では、心配することがあるのが当たり前。 ・ゆがんだしつけ(上からの圧力)によって、本音を隠さなくてはならなくなる。 ・夫婦喧嘩を見ると、子どもは「自分のせい」「自分は悪い子だ」と思う。 ・大学生に対する性格調査 子ども時代に両親が夫婦喧嘩することが多かった学生の方が、少なかった学生より 〜するべきだ、といった厳しさ が強い 判断力             低い 自由さ             低い 従順さ             高い 不自由な生き方になりそうですね。 ・支配の型 ◎直接的支配 ○恐怖による支配=暴力、罰、過剰なしつけ ◎間接的支配  ○賞の多用=褒美を与えることで、期待どおりにコントロールする。 ○頼りない親の姿を見せつける=子どもが自分がしっかりしなくては、と自分の自由を放棄する。 例:頭痛薬のCM 頭痛のお母さんを心配する娘の状況。自分のわがままが出せなくなる。女の子に多い。 ○DVの目撃、察知=父親が母親に暴力をふるうところを見せる。 ・支配性形成において、勉強・進路が大きなネック できなくたって、そのこの価値は変わらない! ・愛し方のわからない親にいくら指導、助言しても親が追い詰められるだけ。 自己肯定感のない母親に子どもの人権を説くことは無理。 まずは親を認めること。「がんばってるね」 ・ここにその子がいる。そのことに価値がある。無条件に価値ある存在。誰しもそういう存在である。 それが本当の個性であり、人権意識の基本。 「生まれてきてくれてありがとう」「それでもいいんだよ」「君なりに一生懸命なんだよね」 ・一番いけないことは、死ぬこと と 人の命を奪うこと 超カンタンではありますが、メモ書きをそのまま記してみました。 少年犯罪の事例に関しては、先生の著書に詳しくありますから割愛します。 興味持たれた方は、ぜひ長谷川先生の本を読んでください。 私もまた先生の本読みたくなっちゃいました! しかし、人権の本質を理解すると、本当にどんな子でも、どんな人でも受け入れられそうです。 とってもスピリチュアルな考え方だったんですね。
posted by: マミーマム | - | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |

待つ

 
妹がたい焼きをたくさん買ってきてくれました。

クリーム、チョコ、あんこの3種類の味。

みんなでパクパク食べました。


長男は1個目、チョコ味があたりました。
2個目を口にした瞬間・・・
またチョコ味だったようで、すごくイヤな顔をして「が〜ん」と言って、こちらを見ました。


「お母さ〜ん」と言って、イヤそうな顔で私を見ています。

もちろん、どういう意味かわかります。

「同じ味のたい焼きを続けて食べたくない、他の味のを食べてみたいから、これは残してもいい?お母さん食べてくれる?」

てな感じでしょう。


一口食べたんだから、全部食べてしまわなくちゃダメ!
とか言いません。
いいのよ、残して。お母さん食べるから置いといて。
とも言いません。



だって、まだ長男は私に何も言ってないんだもの!!!!!



私は待ってました。
じーっと、イヤそうな長男の顔を朗らかに見ながら、次になんて言うのか待ってました。

そしたら、妹が
「いらんのやったらやめとき、おいとき。ちがうの選んで食べたら?」
って声をかけてくれました。


長男は素直にそうしました。



長男の経験値はあがることなく、問題が解決されてしまいました。
長男の知恵と勇気、時と場合にあわせる能力などは育まれることなく、物事が運びました。




こういうことって多いんですよね。

私も知らず知らず、子どもが困らないように、先に声をかけて解決法を教える子育てをしていたので、長男は言葉が少なく自分の思いを伝えることが苦手になってしまいました。

困ったときに、どのように相手に手助けを求めればいいのかわからないって、本当に困ると思います。
ちゃんと誰かに助けを借りる方法(言い方や態度)を身につけるためには、実際に「困る経験」をしなくちゃいけませんよね。

だから、私は
子どもがちゃんと
「お母さん、○○して」
「○○したいんだけどどうすればいい?」
って、私に助けを求めてくるまで、待っているのです。


たい焼きを交換してほしければ、ちゃんとそれを申し出るまで待つ、
申し出たときは交換してやるし、ウジウジとして言えないのならば、彼はそのたい焼きを食べるしかない、または残してごちそうさまするしかない。
それは彼の自由であり責任である。

そういう一本筋の通った態度を貫きたいのですよ。

それが子どもを強くたくましくするのではないでしょうか?
posted by: マミーマム | - | 00:04 | comments(0) | trackbacks(25) |